事務所のコンセプト

公共機関でも弁護士でもない-社会保険労務士という選択

 労働・雇用に関して困ったことがあったら、労働局や労働基準監督署などの無料相談を受ける人が多いです。このような公共機関は無料で相談できるメリットがある反面、相談した後は「一人で」行動しなければなりません。

 弁護士は裁判や単独和解交渉が出来るため、「解決人」としては最も高い能力を持っています。しかし一般的に、依頼料が高額になることと、敷居が高いため依頼に二の足を踏んでしまいます。お医者さんでいうなら「ホームドクター」というより「高度医療をおこなうドクター」という存在でしょう。

 あまり知られていませんが、ほとんどの労働問題は「相談」と「話し合い」で解決します。弁護士に頼むほどのことでもないし、でも公共機関は親身に対応してくれない。そんな方が気軽に相談でき、低料金で「解決の援助」を受けられる社会保険労務士ならではの労働相談所が、熊谷綜合労務事務所/街の労働相談所です。


労働者と経営者のための「労働ホームドクター」

 職場の悩みというのは「病気」に例えられます。症状が軽いうちに相談すれば早く治癒出来ますが、放置しておくと重症になり取り返しがつかなくなります。
 労働者・経営者を選ばず、職場の悩みという病気になった人やなりそうな人が、真っ先に相談する”街医者”のような事務所として活動しています。


求められているのは「解決人」

 私がこれまで事務所を運営して強く感じたのは、相談者が求めていることは、悩みを聴いてくれるだけでなく、「解決してほしい」と強く望んでいることでした。親身になって話を聴き、共感するだけではなく、法律知識と実務経験をもとに最終的には「解決」をしないと、当事者の悩みは真に晴れない。当事務所は、社労士という資格を使い、あらゆる解決制度を見渡したうえで、最もその案件に適した制度を提案し、問題解決のお手伝いをします。


労働トラブルの「予防」に力を入れる

 当事務所は、企業様に対して、労働トラブルの未然防止活動にも力を入れています。
 具体的には、コチラ


社会保険労務士の熊谷です。~私が「街の労働相談所」を設立した理由

サラリーマン時代に訪れた転機

 私は20代の時にサラリーマンとして2つの会社を経験しました。いずれの会社も長時間労働かつサービス残業は当たり前でした。タイムカードが無かったり、行政に見せるための出勤表と裏出勤表の2種類作らされたりしていましたが、当時はそれが当たり前だと思っていました。残業代など、そんな言葉すら知りませんでした。社長はとても怖いワンマンで不平不満は一切許さず、嫌なら辞めろという人でした。

 サラリーマン時代の私は、職場の悩みがあっても会社とはそういう場所なんだと自分に言い聞かせ、耐えるだけでした。しかし寝ている時間以外はほぼ会社で過ごしているので、会社で起こっていることが人生の全てのように感じ、日々大きなストレスを抱えていました。今思えば仕事に対する考えが甘い部分もあったと反省することも事実です。でも当時の私は悩みで頭がいっぱいでした。社会人になった以上、親に心配をかけたくない思いもあり、相談できませんでした。誰かに相談したい、アドバイスが欲しいと思っていました。他の同僚たちも同じように我慢しながら働いているのを見てきました。

 ある時私は社労士という資格に出会いました。労働というものをテーマに扱う資格だと知り、社労士になれば働くことの改善が出来るのではないか、そう思いました。
 自分と同じような思いを抱える人たちの労働環境を変えたい。そう考えた私は、28歳のときにサラリーマンを辞め、社会保険労務士の試験を受けました。

社労士になってからの気づきから「街の労働相談所」設立へ

 社労士資格を取得後、社労士見習いとなった私は、労働者のために活動するという思いでした。しかし仕事を通じて、今までの人生で接点のなかった「経営者」という立場の人と多くお付き合いをすることとなりました。経営者の方々とじっくりお話していると、今まで見えなかった世界が見えてきました。
 それは経営者も悩んでいること、経営者も一人の人間として悩んでいるということでした。労働者と立場は違っても働くことの悩みを抱えているのは同じだと気付いたことは、私にとって衝撃でした。
 手塩にかけて育ててきたつもりの社員に、なかなか思いが伝わらず、あっさりと裏切られてしまった。そういった悩みを聴き、私のような見習い社労士でも相談できてよかったと心から感謝してくれる経営者の方と接するうちに、この人達のために何かをしたいという思いが湧いてきました。

 労働者と経営者は、ともすればお互いを「敵」と思いがちです。私もそう思っていました。でも敵と思っている限り何も良くならないことに気付きました。労働者と経営者は、それぞれの目標に向かって協力し合う仲間(パートナー)のはずです。お互いがそこに気付けば、労使の関係、しいては会社も良くなるのではないかと思いました。

 私は、労働者側・使用者側などと人を選ばず、目の前の「困っている人を助ける」ドクターのような社労士になりたいと考えました。あたかもお金持ちや貧しい人を選ばず治療する「Dr.コトー」のような。自分一人では世界を変えられないけど、地域の人に頼られ、少しでも地域に貢献する、そんな社労士事務所をつくりたいと考えました。
 33歳で独立した私は、以上のような思いをこめ、自分の事務所に「街の労働相談所」を作りました。

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